TOWEL STORY10
自社ブランドを、
先駆けてきたメーカーの、
これからのものづくり。
近藤剛文(こんどうたかふみ) コンテックス株式会社代表取締役。大学卒業後は東京のIT系企業に就職。2010年、今治に戻り、紡績工場にて修行後、コンテックスに入社。営業や商品開発でものづくりに関わる。2023年8月5代目社長に就任。コンテックスの自社ブランド戦略を受け継ぎながら、働きやすい環境づくりにも勤しむ。
愛媛県今治市にあるショップ『コンテックスタオルガーデン今治』には、多くの観光客が訪れる。煉瓦造りの建物は、1950年に建築された工場をリノベーションしたもので、産業革命時のマンチェスターの工場を模しているという。ショップ内に並んでいるのは、すべてコンテックス株式会社のオリジナル製品だ。
敷地内にあるコンテックスタオルガーデン今治
松下幸之助仕込みのブランド戦略
現在、今治のタオルメーカーにおいて、オリジナルブランドの製作はかなり一般的になっているが、コンテックスはおそらくそれを最初に始めたメーカーのひとつだろう。1934年に近藤宗一氏が近藤宗一タオル工場(当時)を創業。その次の代の近藤憲司氏が、自社ブランド戦略をスタートした。
「祖父(憲司氏)は、前職が松下電器だったんですよ。戦後に祖父が今治に戻ってきて、当時から自社ブランドを開発していた松下さんのやり方を、自分の会社にも当てはめたところから自社ブランドが始まったんです。それ以来、自社で企画して、在庫を持って販売するという形をずっとやっています」
そう答えるのは、代表の近藤剛文氏。2023年8月、先代の近藤聖司氏から継いだばかりのフレッシュな社長である。
創業90年になるコンテックス。その入口にある創業者・近藤宗一氏の胸像
当初、『コンテックス』は社名ではなくブランドの名前だった。ロゴマークも作り、当時の人気女優をモデルに使って広告を出したりもしていた。
「有名ブランドとコラボレーションすることもあったのですが、『(ブランドのロゴの隣に)コンテックスのロゴは必ず付けてほしい』という主張をしていたそうです。それで喧嘩になって、結局話がまとまらずご破算になったりとか。強気の祖父でしたね」
タオルメーカーにとって下請けやOEMの仕事が主流だった時代に、すでにコンテックスには自社ブランドを非常に大切する考え方があったのだ。
自社ブランドに助けられた
百貨店不況時代
剛文氏自身は、大学卒業後、東京のIT企業に務め、数年後の2010年、30歳の年に今治に戻ってきた。まずは「修行先」として、紡績会社で2年間働いた。
「大正紡績という会社に、オーガニックコットンを日本に広めた近藤健一さんという営業部長がいらしたんですよ。それで父が『行くんやったらそこに行け』と」
そこからコンテックスに入社し、14年後に社長交代した。しかし「大変だったのは自分の前の世代」だと剛文氏は言う。
「祖父の頃は、自社ブランドを作ったものの、売り先はほぼ百貨店だけだったんです。間に代理店としてタオル問屋が10社ぐらいあって、その問屋を通して商品を供給していました。その後、百貨店不況になって、問屋がどんどんなくなっていって。10社のうち、今では1社ぐらいしか残っていないんですよ。売掛もけっこうある状態で倒産されたりして、しかも売り先がないという状況でした。それで父の代では、もう直接小売りに行こうと、展示会やギフトショーに出るようになり、そこから少しずつ売上を戻していきましたね」
そんな大変な時代に助けてくれたのは、やはり自社ブランドだった。問屋からの発注がなくても、商品さえ作っていれば売上になる。そこから問屋を通さずに売る仕組みを整えてきた。問屋向けの出荷は大きな段ボールでやっていたが、小売りサイズになると小ロットになるので箱も小さくなるし、システムも変わる。剛文氏が入社したのは、そんな時期だった。
「タオルメーカーなので、やっぱりそういうシステム的なことはだいぶ遅れていましたし、そのへんはけっこう改善しました。そういう意味では、IT業界にいた経験が役に立ちましたね」
小ロットの商品も作りやすいサンプル整経機
大正紡績で学んだ
アパレル的なものづくり
ものづくりへのこだわりは、どんなところなのだろうか。
「伝統的に、タオルメーカーのタオルって、白いスタンダードな糸を買ってきて染めるやり方が主流なので、『赤いタオル』とか『青いタオル』とか、わかりやすい色使いが多いんです。対して、アパレルの作り方って、糸自体にいろんな色を混ぜてネップを入れたりする製法をとるんです。僕も大正紡績にいたときに、そういうアパレルの製法を学んだので、それをタオルに取り入れてみたり、ウールやリネンを使ったり、綿に異素材を入れたり、色を混ぜたりして雰囲気を出したり、という工夫はしていますね。そういう『アパレルでは当たり前だけどタオルには珍しい』という作り方は、たぶんうちがタオルメーカーのなかで1番やってるかなと」
売れ筋のベビー用グッズ
例えば、ベビー用のフード付きバスタオル。ニュアンスのある糸だからこそ出る風合いと、耳のついた可愛さが、確かにアパレルショップのようなデザイン性を感じさせる。風呂上がりにおくるみのように使える便利さで、出産祝いに喜ばれる売れ筋商品だ。
「デザインは社内のデザイナーによるものです。やっぱり見た目可愛くないと売れないんで、常にこういうのを考えています。ちょうど先週が企画全体会議だったんですけど『こういう商品出したいんです』『じゃあそれやってみよう』みたいな感じで、いろいろ話し合っています」
また、個性ある製品を作るために、工場では6機種・39台のタオル織機が稼働しており、製品によって使い分けている。なかには非常に古いタオル織機もあり、生産効率は悪くてもあえてそれを使うこともあるという。
「トヨタ織機の改造レピアなのですが、スピード的には本当に遅くて、通常の3分の1とか4分の1ぐらいなんですけど、ロングパイルのタオルなどはきれいに織ることができるんです」
重宝していたのだが、スピードが遅いためコストがかかり、B品も多くなりがちという欠点もある。次第に新型の織機が増え、いまではトヨタ織機は2台まで減ってしまった。
「だけど、僕が入ったときに同じぐらいの若い人たちは、このトヨタ織機でみんなものづくりしてたんで。そういう意味ではこれが原点で、うちを支えてきた織機だと思いますね」
歴史的にも貴重なノコギリ屋根の工場
スタッフからの提案で、
大ヒット商品になった「MOKU」
そんなコンテックスの主力商品の1つは、「布ごよみ」という、タオルと手拭いを合わせたようなもの。薄くて通気性もよく、キッチンタオルや日よけ対策にも使うことができる。もう20年続いているロングセラーだ。
ロングセラー商品『布ごよみ』。さまざまな用途に使えるタオル手拭い。
「いまも売れていて、年間20柄ぐらいはデザインを入れ替えています。売れるというだけではなくて、やっぱり20年愛されてきたことがすごくありがたいですね」
そしてこの布ごよみを無地にしたものが「MOKU」だ。もとは先代社長の聖司氏が、ジムに行くときのために、シンプルなデザインにできないかということで開発したもので、生地感としてはまったく「布ごよみ」と同じである。
「その何年後かにサウナブームがきて『これ絞りやすいし、浴場でも使いやすいから、サウナ向けに売り出そう』とサウナ好きのスタッフが企画をし、サウナの刺繍を付けた『MOKU』をSNSで発信しました。すると全国のサウナーから反応があり、一気に広がりました。私もここまでのことは予想していませんでしたので、非常に驚きました」
「布ごよみ」などの主力商品は、観光地などの土産物需要が高く、コロナ禍では必然的に売り上げが落ち込んだ。その間、空前のサウナブームが来て、「MOKU」が売れた。
「大変な時期を、『MOKU』とサウナが助けてくれました」
常に何か考えないといけないキツさもある
いま、時代は変わり、いつの間にかタオルメーカーも自社ブランドをつくる会社が増えてきた。先駆者としては、そんな状況をどう考えているのだろう。
「自社ブランドをやっていると、常に新しい商品を出さないといけないし、在庫リスクも自社で持たないといけないので、OEMでやった方が効率が良いと感じることもあります」
しかし自社ブランドでずっとやってきたコンテックスが、いまの体制のままOEMで他社と渡り合うのは難しい。他社がどうあろうと、自分たちのやり方を突き詰めていくしかない。
「いつもうまく行くとは限りませんが、常に新しいものを作って、面白い商品を作る会社だなと消費者に印象付けられればと思っています」
製品の企画や製作に関して、剛文氏の進め方は民主的だ。企画もデザインも社内で行われ、売り方が決まっていく。そうしてスタッフの意見を取り入れたことで、「MOKU」というヒット商品も生まれた。
「別に僕の意見が正しいとは限りませんから」という剛文氏には、若い社長ならではの謙虚さと柔軟さが感じられる。
「どっちかというと先代社長のほうが、センスという意味ではあったんですよ。僕はIT系から来たし、理系の頭なんで。おしゃれとか、かわいいとかいうのは、10年以上やってるんでわからんことはないけれど、これまでも『これ売れんやろうな』なんて思いつつ出したら売れたものもあるし、『売れるやろ』と思ったものが全然売れなかったこともあるから、別に社長やけん言うて正しいわけじゃないんですね」
会議ではあれこれ言いながら「とりあえずやってみよう」と進めていく。絵の段階では、本当にいけるかどうかはわからないので、サンプルを作り、上代設定までして判断をする。
「最終的に『これちょっとやめとこう』っていうのもあるかもしれないですけど。できるだけ売ってみて、売れんかってもそこから学ぶことがあればそれでいいかなっていう。僕の気持ちとしては、そんなふうにやっていきたいなと思ってるんです」
日々企画を考えデザインを開発するコンテックスのデザイナー
しかしそのやり方が若い人を生かし、モチベーションを上げることにつながっているとしたら、いまの時代には合っているのかもしれない。
「その捉え方は、人によるかもしれないですね。わからないぶん、とりあえずやってみようみたいなところは僕のほうがあるかもしれないですけど。やってみてダメだったらまた考えるという繰り返しでしかない」
もちろん、これからも基本的には、自社ブランドでいくという意志は変わらない。原料費が上がっているいま、販売価格を自社で決められるという意味では、やはり自社ブランドで良かったなと感じている。自社ブランドがあれば、売り先が変わっても消費者は買ってくれる。
「ただ、お客さんには飽きられないように、常に新しいものを出してるというイメージの会社であるべきかなと。いい商品があってこそお客様にも紹介できるし、売り上げも立つ。1番大事なものはものづくりだというのは、コンテックスの伝統だと思います」
働く人が幸せに生きていける職場でありたい
コンテックスの工場には女性の働き手も少なくない。重いものを楽に動かせるようにと、ダンボールを吊り上げるマシンも導入しているところなどは、社員への優しさが感じられる。
「働く人たちが、この会社でよかったなと思えるような会社にしていきたいなと思っています。僕らより上の世代は、本当に大変やったと思うんですよ。古い機械を調整しながら汗水たらしてタオルを作っていました。だけど現在は機械も革新的なものに変わり、空調も効いて働く環境は格段に良くなっています。タオル会社に勤めてもらえば、楽しく、幸せにやっていけますよっていうイメージを持ってもらえたらと思います」
民主的で優しいリーダーだからこそ、そのしなやかさが、タオル業界を変えていくのかもしれない。そんな風に思わせる若い感性がそこにはあった。
コンテックスオフィシャルサイト
https://www.kontex-shop.com/
コンテックスタオルガーデン今治
https://www.kontex-shop.com/new/2017-07-21-160136.html