TOWEL STORY11

 

歴史と未来への想いが
織りなすユニークな工房

武田正利(たけだまさとし) 株式会社工房織座代表取締役。中学卒業後、地元の夜間高校に通いながら宮崎タオルに入社。40年間勤務し工場長も経験。現在でもヒットし続けるタオルマフラーの開発者でもある。工場部門閉鎖となることを機に独立を決意し、2005年に54歳で工房織座を起業。今治では織機の改造から手掛ける唯一無二の織職人として名を馳せる。

武田英里子(たけだえりこ) 株式会社工房織座取締役。大学卒業後、広告制作会社に就職。2007年、父が起業した工房織座に入社。展示会出展やカタログなど販売ツールの制作を行い、ものづくり一本気の父をバックアップ。現「kobo oriza」のブランド化を進め、全国の小売店へ卸を展開。売上を数年で7倍に上げる。現在は小売・広報を担う三児の母。

梶弘幸(かじひろゆき) 株式会社工房織座取締役。大学卒業後、楠橋紋織に就職。藤高、タオル専業の商社を経て、妻・英里子氏が第1子を授かったのを機に2015年工房織座入社。自社商品の企画デザインと営業の中心を担い、夫婦二人三脚で売上を5年で3倍に。「水布人舎」・「CUON:E」を立ち上げ、他メーカーとのものづくりにも積極的に挑戦している。

130年前の足踏み織機を使ったストールづくり体験

愛媛県今治市の山間にある工房織座。ここは文字通り、3人のクリエイターのスキルと想いが織りなすユニークな工房だ。

ログハウスのような建物のなかには、珍しい足踏み織機が置かれている。

130年前の足踏み織機。今治タオル本店にも同じタイプの織機が展示されている

工房織座では、これを使って、「オリジナルストールづくり」のワークショップを行っている。自分でデザインして、作って、持って帰るという体験が、わずか4時間でできてしまう。この10年間で100人ほどの参加者があり、一番遠い国ではイギリスから来た方もいたという。

「人によってはデザインに時間をかけられる方も多いのですが、機織り自体は1時間くらいです。普通は、機織り体験というと手織りのことが多く、もっと時間がかかってしまうのですが、この足踏み織機はすごく短い時間で織ることができるんです」と語るのは、取締役の武田英里子氏。

「工場に併設されたショップには1日に数組、休日になると4~5組くらいはお客さんがいらっしゃいます。観光客と地元の方の割合は半々くらいですが、観光の方は、道後温泉に行く途中に寄る方が多いですね。近くの鈍川温泉に宿泊された方とかも結構いらっしゃいます」(英里子氏)
なるほど、たしかにここは、しまなみ海道から今治を経て道後に行く動線上にある。道後温泉商店街の『伊織』というお店でも、工房織座の商品は販売しているのだが、ここにくるとすべての商品が揃っているし、工場見学もできる。

この織機、実は130年も前のもので、なかなか他ではお目にかかれない超レア品。

「タオル組合には同じものが置いてあるんですけど。それもうちの父が直して納品したもので、
自分でも欲しくなっちゃったらしくて(笑)、10年くらい探して見つけました」(英里子氏)

「父」というのは、この工房織座の代表であり、職人でもある、武田正利氏のことである。

「社長は今治でも有名な職人なんです。前職では、今でもヒットし続けているタオルマフラーの開発者でもありました」

そう説明するのは、同じく取締役の梶弘幸氏。英里子氏とは夫婦という関係だ。

「その流れで、もっと付加価値の高いマフラーをつくりたいと、いま主流の革新織機ではなく、古いシャトル式の織機に目をつけたんです」(梶氏)

その理由は、小幅でよこ糸がつながったまま織るため無縫製で製品ができること。耳の縫製がないから表裏がなく巻き心地もいいこと。そして、織機の構造がシンプルで改造を施しやすかったことと、現代織機では織りこなせないデリケートな素材を織ることができるからだという。

「社長は最初に豊田Y式を他の産地から仕入れてきて、復元・改造し、唯一無二の織物が織れるような形で起業しました。2005年の創業当時は大量生産をよしとする時代、まったく逆の発想でものづくりする考えは、当時、他メーカーにいた私でも目からうろこでした。その後、ここに入ってからわかったのは、個性を売るファッションアイテムにはすごく合っている生産設備だと思いました。それを当時の今治ですでに考えていたというのは、いま思うと天才ですね(笑)」(梶氏)

工房織座は、この武田正利氏、英里子氏、梶氏が、それぞれの力を合わせ、服飾雑貨の「kobo oriza(コウボウオリザ)」、タオルの「水布人舍(スイフトシャ)」、ウェアをメインにした「CUON:E(クオンー)」という3つのブランドを持ち運営している、独特の個性を持つメーカーである。
会社のなかを見ながら、お三方にお話を聞いた。

生粋の織物職人が立ち上げた工房

元々は、今治のタオル工場で工場長をしていた正利氏が、2005年に工房織座を立ち上げたのがスタートだった。

「父はメーカーの工場に勤めていたものの、私はごく普通の一般家庭で育って、ものづくりやデザイン、ましてや会社経営に触れることもなかったのですが、あるとき実家に帰ってきたら急に工場が建っていてびっくりしたという感じです。父が退職金を工場に費やしてしまって貯金がないと(笑)」(英里子氏)

そんな状況で急に工場を手伝うことになった英里子氏。ものづくりのスキルはなかったが、前職がデザイン系の営業職だったので、ほんの少し知見があった。

「そもそも嫌いではなかったのと、『田舎のものづくり』と思われるのが嫌で、なんとかかっこいいと思ってもらえるようにしたいなと。お金は本当になかったので、限られたなかでできることを少しずつやってきました」(英里子氏)

正利氏は、昔ながらの織機を修理・改良しながら、織り方を研究するような生粋の織物職人。工場のなかには、この足踏み織機のほかにも、100年を超える古い織機や珍しい機械が並んでいる。

古くて珍しい機械が並ぶ工場

「これは、豊田式織機株式会社のもので、大正4年(1915年)から大正12年(1923年)にかけて生産された、100年以上前の織機です。他の産地で古い工場には残っているものもあるが、動いているのは珍しいですね。徳島の方で4台分けていただいて、でも廃棄物同然で全部部品が揃っていなかったりしたので、それを分解して、部品取りして2台を復元しました」(正利氏)

織機について愛おしそうに語る正利氏。しかしこれらの織機は、ただ趣味で入れた骨董品ではない。現役で動いている戦力だ。

世界で1台「たてよろけもじり織り」と「たてよこよろけもじり織り」が織れる豊田Y式改造織機

「普通の織機だと、たて糸もよこ糸もまっすぐに織るんですが、この織機はもじり織りというよこ糸をたて糸2本でしばるような織り方をできる機構と、特殊な形の筬(おさ)が上下に動きつつ織るという機構の二つを組み合わせることで、糸にうねりが出せてこういうニュアンスのある生地が織れるんです」(正利氏)

目が詰まりすぎていないこの織り方により、空気を含んだ柔らかく肌触りのいい、しかも洗濯してもよろけ模様が崩れないマフラーを開発できる。

直営店にはバリエーション豊かな織り柄のマフラー・ストールが並ぶ

旧式織機の利点を活かして開発された無縫製仕上げの8WAYキャップ
※意匠登録1296495号

こうした世界初のたてよこよろけもじり織りや独創的商品の開発で、2009年に『第3回ものづくり日本大賞』の経済産業大臣賞を受賞した。

第3回ものづくり日本大賞を受賞

「これはね、京都の西陣でも使っている津田駒織機です。元々は帯を織っていた織機。今治で私が帯を織っても売れませんから、今治の技術をこの織機に詰め込めば、京都にも今治にも真似できないものができる」(正利氏)

京都・西陣から譲り受けてきた津田駒織機

正利氏は、さまざまな産地をトラックでまわって、こうした織機を積んで帰ってきては、新しい織物のアイデアを表現できるように改造した。こうして今治に類を見ないユニークな工場が出来上がった。

小幅織機用の整経機

正利氏は、さまざまな産地をトラックでまわって、こうした織機を積んで帰ってきては、新しい織物のアイデアを表現できるように改造した。こうして今治に類を見ないユニークな工場が出来上がった。

こうした織機に合わせて、整経機も古くて小さなものを改造して使用。このタイプのものを現役で使っているのはおそらく今治ではここだけだという。
「糸と生地の染色は外に出していますが、撚糸、整経、織り、洗い、仕上げと、ほぼ出荷までこの工場でやります。製品のデザインも自社で行い、撚糸機も改造していて特殊な撚り方もできるから、独自のものづくりが可能になるんです」(正利氏)

今治で、ここまで一貫で行うメーカーは珍しい。自分でやることによって製品のバリエーションも広がる。少量生産でないとできないことだ。

4本同時に撚糸できるように改造された撚糸機

経験豊かな営業マンがジョインし、新体制へ

そんな工場を持つ工房織座だが、この工場で作っているのは主にストールやキャップなどのアパレル小物だ。ではタオル製品はどこで作っているのだろう。

2005年以降、正利氏と英里子氏の父娘で、この工房織座を運営し、付加価値の高い服飾雑貨を作っていたところへ、2015年に英里子氏の夫である梶弘幸氏が加わり、いまの体制が出来上がった。

「私がタオルメーカーにいる頃に奥さんと出会って結婚しました。奥さんはここの企画・営業…たとえば展示会の準備とか、カタログ作成、Webショップの運営まですべてやっていました。そのときは売り上げも7000万ぐらいの会社だったので、一人でどうにかやってはいたのですけれど、長男がお腹に宿ったときに、たぶん一人では無理だなということで、私がこちらに移ったというかたちですね」(梶氏)

大手メーカーでの営業経験と、タオル専業の商社では営業はもとより企画や外注生産の管理など、幅広く仕事をこなしていた営業マンだった梶氏は、その頃の経験を活かし、タオルを作って販売に繋げていく事業を入社後すぐに立ち上げた。それまで服飾雑貨製造が中心の工房織座に、タオルづくりを広げている。

「自社で小売をするにしても服飾雑貨だけでは品揃え的に集客が難しい。対して、タオルは今治を代表するアイテムですし観光客のニーズも多い。季節性もなく、使ってよければリピーターもつく。何よりもタオルが好きでしたし、長く定番的に売れるものを作っていきたいなと『水布人舎』を立ち上げました。」(梶氏)

「水布人舎 SUIFUTOSHA」というブランド名には、「水と生きる人 水と暮らす布 人と活きる布」という意味がある。水と人をつなぐタオルを、日常に溶け込む存在としてつくるプロジェクトだ。

「『kobo oriza』はすべて社内で織ってるものなのですが、『水布人舎』は、組合内のタオルメーカーと私が組んでものづくりしているブランドですね。今治の眠れる素材とか、眠れる織組織を掘り出して、自分たちの力でいいタオルをもっと世に発信していこうと」(梶氏)

当時、問屋を介したOEMの受注生産が多かった今治では、少し高価な素材など、コストが合わないものは商品化が難しかったという背景もある。もともと直接小売店にものを卸していた会社の強みを生かして、そうしたプロジェクトがスタートした。

肌着の素材を使った
「素肌に一番近いタオル」

その代表商品は、「MOFA(モフア)」と「SALA(サラ)」だ。

「『MOFA』は、触ってすぐに驚くタオル。『SALA』は、使い続けると良さがわかるタオル」と梶氏は言う。

ピマ超長綿をベースに、オーストラリア綿とサンホーキン綿をブレンドしたオリジナルの綿糸。この高級肌着用として使われるプレミアムな素材を、料理の仕方を変えて2つのシリーズに使っている。感動的なやわらかさを目指し、極甘撚りにして、ハイボリュームに織り上げたものが「MOFA」。そして、至福の拭き心地を目指して、超高密度にロングパイルで織り上げたものが「SALA」。この素材はもともと70年以上も前に高級肌着用として開発された糸である。

「素肌に一番近いタオルはなんだろうと考えて、それはずっと身につけているものじゃないかと思ったんです。最高の肌着の素材でタオルをつくれば、きっといいものができるのではないかと」

その糸を使ったら、しっとりとなめらかで風合いが良く、ロングパイルで本数が多いにも関わらず毛羽落ちは少ない、梶氏いわく、手掛けた数多のタオルの中でも最高と思えるタオルが誕生した。

「この肌着用の糸は2017年よりタオル業界でうちが独占させてもらっている素材なので、他社からは出てきません。同様のコンセプトをつけて売られている安価な商品も最近みかけるようになりましたが、弊社のプロデュースしたもの以外は、そもそもの素材が違います」

肌着用の高級糸を使ったMOFA(上)とSALA(下)

「水布人舎を立ち上げた頃は、人と違うことをやろうという変な色気も出してて(笑)、斬新な織りや素材の商品もつくってはいたんですが、今は日用品として使い心地がいいものに原点回帰して、よりシンプルにものづくりしています。それはMOFA・SALAの前身『やさしい肌着の糸でつくったタオル(2018年発売)』を作ったのですが、それを使った方々からの評価で気付かされました」(梶氏)

見た目は普通のタオルなので、卸先の小売店ではあまり採用されなかったが、自社ショップで買ったお客さんや、B品を使ったメーカーの社員たちからの評判が驚くほど良かった。まとめ買いやリピート率も一番高いタオルだったという。

「ものづくりしていて一番うれしいことって、やっぱりリピーターがつくことなんですよ。『デザインが良い』とか、『織り方が珍しい』とかいう表面的なことだけだと、好みもあるし飽きられるじゃないですか。でも、実際にタオルを使って『拭き心地が最高』『やわらかい』という記憶は、肌に残るものなので、それをリピートして買ってくれる人が徐々に増えてきているんだなとは思います」(梶氏)

また、ユニークなのが、タオルハンカチのTETE。25×17センチという特殊なサイズだ。

「これは、ポケットに入れやすいサイズにしているんです。四つ折りにしたときに、スマホとか名刺入れサイズになるので、お尻ポケットでも胸ポケットにもスタイルを崩さずに入れやすいから女性でも身につけやすいんです。配色も豊富でキッズ含め家族みんなで使えます」(梶氏)

こうしたタオルはじめ自社商品のデザインは、現在はほとんど梶氏が手掛けている。デザイナーではない梶氏がデザインを手がけているというのは驚いたが、専門的なデザインの勉強は、まったくしていないという。

「デザインに答えはないので、誰でもその気になればできるものだとは思っています。ただ最初からうまくいくものではないので、やはりつくった回数、経験だと思います。僕もいっぱい失敗して、いまがあります。織物は立体的なものなので、糸の種類や密度が変わるだけで製品の印象が大きく変わる。素材や織組織、製造上の制約などの知識とこなした経験の蓄積がないと難しい。見た目だけでなく風合いまでが製品の大事な要素となるアイテムなので、プロのデザイナーさんに依頼したとしても、経験なくしては簡単にはいいものが作れないんです。最終的にラベルとかパッケージ資材の部分で整えてもらうのは、もちろん外部のグラフィックデザイナーさんに協力してもらってるんですけど、コンセプトやイメージの方向性は、こちらから提示することが多いですね。ネーミングやコピーライトに至るまで商品化に必要なことはなるべく自分でやっています」(梶氏)

製造に関しては、「kobo oriza」はすべて自社生産であるのに対し、「水布人舎」は、求めるタオルづくりに合わせて数社のメーカーへ委託製造、「CUON:E」は、タオルメーカーないし今治のアパレル会社へ委託製造しているものと、自社製造しているものがある。

「単に良いものをつくって売るだけでは売れない時代、製造背景含めた作り手の顔を伝える商品のストーリー性も重要になってきている。そういったところでは、時代に影に消えつつある大正・昭和の古い設備に光をあてて、現代の織機では作れないもの、かつ現代の暮らしに寄り添ったものをつくり続ける工房織座のスタンスは伝わりやすいのではと思います。
斜陽産業と言われて久しい繊維業界ですが、織物の可能性は無限大。織物の歴史が始まってから何千年経った今でも私たちは生活のあらゆるシーンで布を使っています。たぶんこれからも変わらない。ずっと必要なものであると思うんです。それを工夫によってより良いものにして使い手に喜んでもらえるように、これからも織物づくりに座して向き合っていきたいと思います。また、次世代への織物づくりの楽しさの継承と、会社・産地関わらず共感してもらえる仲間も増やしていきたいですね」(梶氏)

古い織機にしか作れないオリジナルなものづくりと、その体験を広げていく活動。そして新しいタオルやウェアづくりへの挑戦。歴史と未来、そして3人それぞれの力が絶妙に交差し、唯一無二の工房が成り立っていた。

工房織座公式オンラインショップ
https://oriza.jp/

直営店・ワークショップ体験
https://oriza.jp/about