TOWEL STORY08

 

直営店を全国へ広げた、
行動力と素材へのこだわり

村上誠司(むらかみ・せいじ) 丸栄タオル株式会社代表取締役。大学卒業後、東京の商社に3年勤めた後、今治に帰省し、父である先代・村上努氏の後継者として丸栄タオルへ入社。当時はOEM生産が中心だったが、オリジナル製品を開発し、銀座に直営店をオープン。現在、日本全国に10店舗もの直営店を展開している。

創業60周年、
ゼロから改装した新社屋

「本日ハ、ドノヨウナゴ用件デスカ?」

今治市は南高下町。丸栄タオルのオフィスに入ると、ロボットが受付してくれる。ロゴをイメージしたソファや、さまざまな色に変わる照明。屋根の上には一面に太陽光発電があり、その時々の発電電力が逐一ロビーのモニターで表示される。

ロボットが受付をするロビー

丸栄タオルのロゴ型のソファと、発電電力が示されるモニター

モダン建築のこの社屋は、2018年、創業60周年の節目に前の社屋を全壊し、ゼロから改装。吹き抜けの上にある印象的なショールームは、社員の方によると「本当は倉庫にするはずだった場所なのに、社長が勝手に設計を変えて作った」ものだという。無駄なスペースですよね、と笑いながら訴えるスタッフに、「無駄な遊びが楽しいんよ」と全く動じない村上誠司代表。この老舗メーカーの2代目である。

社の奥には工場があり、品質管理や製造効率を上げるためのさまざまな工夫が凝らされていた。糸を管理するために、常に温度は24℃前後、湿度は70-75%に保たれ、所々にホコリを吸い込む空調が入っている。動線は、効率よく動けるよう計算し尽くされている。

至る所にある空調設備。タオル品質の安定はもちろん、社員をアレルギーから守るためでもあるという。

ここでは、タオルだけでなく、バスローブやタオルシャツなどのアパレル製品も多く製作しており、多品種小ロットのものづくりをするためのサンプル整経機も備えている。

ものづくり補助金で購入したサンプル整経機

また、オフィスエリアには、社内や店舗の様子を一望できるモニターが設置されている。これがあることで、社員やスタッフの一体感も生まれるという。

すべての店舗の様子が随時見られるようになっているモニター

コンピューターで管理する
大型ビームストッカー

しかし、なんといっても圧巻なのは、工場の奥にあるビームストッカーだ。クルマの立体駐車場に似た構造で、番号をコンピューターに入れると取り出したいビームが出てくる。今治でも、ここまで大きなビームストッカーを備えているメーカーは少ない。出し入れするためのレールがあり、軽く押すだけで動かせる。

縦に大きくそびえるビームストッカー
ビームを出し入れさせる際に使うレール

「場所と時間を効率よく活用するストック方法ですね。普通これらのビームは工場のそこらへんに置かれていることも多いのですが、動かすときに事故が起こることもあるので、社内の人材の安全を守るという観点からも導入しました」(丸栄タオル藤原氏)

「これを作るためには、リフォームや増設では無理。ゼロから作らないと」(村上氏)

こんな社屋を作り上げた村上氏は、普段からアクティブな人物だ。考えたらすぐに行動する。そしてとことんこだわり抜く。2009年、組合で出店したフィンランドでの展示会に参加したときには、急に思いついて一人でイスタンブールまで糸を仕入れに行ったという。

「その前にパリの展示会で営業されたベルギーのバイヤーを訪ねて行ったのですが、『本当に来たのか!日本人が来たのはお前が初めてだ』と言われました(笑)。いま考えたら本当に危険なことをようやってきたなあと」(村上氏)

そんな村上氏の行動力は、今治市内の下請け工場だった丸栄タオルを、全国10店舗の直営店を持つメーカーに育て上げた。

下請け工場から、自社製品開発へ

1958年、先代の村上努氏が創業した丸栄タオル。当初はOEM一辺倒の仕事で技術力を磨いた。そこへ2代目の誠司氏が今治に帰ってきた。

「当時は今治に帰りたくなくて、東京で就職して3年働きました。日本橋の総合商社に就職して、呉服やアパレル、タオル製品などを扱う仕事をやっていました。3年経っても、やっぱり帰りたくなくてね。東京の人から見たら、島流しでしょ?(笑)」(村上氏)

やっと帰ってきたものの、今治タオルは瀕死の状況にあった頃だ。海外の安いタオル製品におされ、仕事はだんだんなくなっていった。これから先、どうなっていくかは目に見えていた。

考えたことをすぐに行動に移すのが村上氏だ。下請けから脱出しようと、飛び込みで営業にまわった。

「当時、大きい携帯電話を持ってね。『シモシモ?』って電話かけましたよ(笑)」(村上氏)

その頃は東京に行くだけで元気が出た。羽田から浜松町に向かうモノレールのなかから、大都会の様子が見える。「これだけの大企業がいっぱいあれば、お客さんがたくさんいるぞ!」とワクワクした。あてもなかったので電車やバスのチラシを見て電話をかけたが、ほとんどは門前払いだったという。

「なんとかしないといけない」と、自社でブランドを作ろうと思い立ち2004年、イデゾラ(当時の名称はイデアゾラ)というプライベートブランドを誕生させた。しかし、今度はプライベートブランド商品の販売先確保が課題となった。そこで、国からの補助金制度に店舗出店を申し込んだが、残念ながら落選し、2007年8月、銀座に直営店「タオルブティック イデアゾラGINZA」を自力でオープンした。

いまでも看板ブランドであるイデゾラシリーズ。
当時の銀座直営店イデアゾラGINZA

「プライベートブランドを有名にしたい」
という想い

当時、まだ無名だった今治タオルは「いまじタオル」と読まれてしまうような時代だった。「この店、タオルしか置いてない。変なの」と言われることもあった。近くにある歌舞伎座の客がよく来てくれていたが、ほどなくして歌舞伎座建て替えの時期に差し掛かった。3年間も歌舞伎座を閉鎖するとなると、そんな客もいなくなるだろう。

「どうしよう、もうやめようかと、半日くらいぼーっとしていたときに、晴海通りからすっと入ってきたお客さんがいたんですよ。ああ、うちに来る目的でいらっしゃるお客さんが何人かいるんだなと。たかが2〜3人でしたが、もうちょっと頑張ろうと思えたんです」(村上氏)

山あり谷ありだったが、プライベートブランドを有名にしたいという思いでやってきた。
いまでは丸栄タオルの直営店舗「今治浴巾」は、全国に8店舗。「[今治]タオル工房mao」は2店舗ある。販売されているプライベートブランドは、すべて素材をこだわり抜いた商品だ。日本の紡績会社の糸に留まらず、海外からもハイスペックな綿を仕入れている。だから大きな声で宣伝しなくても、半年〜1年使っていただけると良さがわかる。リピーターが増える。そこが丸栄タオルが伸びている理由だと、村上氏は語る。

雲のように柔らかいスーピマ無撚糸のタオル。

ひびのこづえ氏との出会い

そんな丸栄タオル発展の歴史に、欠かせない人物がいる。デザイナーのひびのこづえ氏だ。2006年、四国タオル工業組合(現:今治タオル工業組合)の今治タオルプロジェクトが立ち上がった頃、ブランディングチームが各社をまわってさまざまなコラボを仕掛けるなか、丸栄タオルはひびの氏とつながりができた。ハニカムクロスという織り方の「ひびのこづえ+丸栄タオル」は、今治タオルブランド認定商品の第一号(第2007-001号)となった。

開発には苦労した。ひびの氏のこだわりは強く、例えばハニカムクロスの格子部分に関して、1ミリ単位での修正を要請される。何度も東京と行き来してやりとりを重ねた。予算面でもぶつかった。デザインさえ良ければモノは売れるのだから、費用を抑える為に特殊糸は使わずにプロパー糸で良い、と言うひびの氏に対して、タオル組合の代表としてモノづくりをする立場である村上氏は、ジャパンブランドとして発信する商品だから素材には拘りたいとして、スーピマコットンを使うことを譲らなかった。

「喧々諤々、ガチンコガチンコでしたよ(笑)。でも結局、スーピマコットンで作って良かったと思っています。だからこそ光沢感が出て、いまでも売れるロングセラーになりました」(村上氏)

そんなひびの氏には、60周年の際、新しい丸栄タオルのロゴ開発をお願いした。コットンが3つ連なった形、あるいは雲のようにも見える柔らかいイメージのマークだが、よくよく拡大すると、全部直線のつながりでできている。これは、村上氏のこだわりを表しているという。

「この丸栄タオルコットンマークは、直線の連続でできています。『この直線は、村上さんのこだわりを表してます。決してまるくならないでね。とんがった部分を持ち続けてね』っていうコメントをひびのさんからいただきました」(村上氏)

丸栄タオル ロゴマーク
タオル工場屋上の太陽光パネルを見学しながら石鎚山を指差す
ひびの氏

目標は、エルメスのような世界的な会社

村上氏の行動力は、SDGsの活動にも及んでいる。社屋には太陽光パネルを設置し、海ごみゼロウイークの際には市民も巻き込んで海岸の清掃活動を行なっている。

「証券会社の人がよくSDGsのバッチをつけているのを見て、調べてみたら、誰でも取り組みができるんだと知ったんです。100社が100様の取り組みをしたら、ずいぶん環境は変わるでしょ。小さなことでも積み重ねだから」(村上氏)

受付に置かれているSDGs宣言

これから会社をどうしていきたいですか?と聞くと、

「そうだなあ。エルメスになりたい…大きすぎますか?」

と村上氏は笑う。エルメスというのは、全世界が認めたブランドになりたいという意味らしい。だからこそ、ディスカウントをしない。ものづくりするからには、それくらいの自信がなければと思っている。有名デザイナーとも心ゆくまで対峙し、一人でイスタンブールまで買い付けにも行く。そんな村上氏の行動力で、いつかその大きすぎる夢も手にしてしまうのかもしれない。

丸栄タオルオフィシャルサイト
https://www.maruei-towel.com/

今治浴巾オフィシャルサイト
https://imabariyokkin.jp/