TOWEL STORY07

 

糸へのこだわりと、
多様なニーズに応える技術。

楠橋功 札幌市出身。楠橋紋織二代目社長のご令嬢と東京で知り合い、結婚。楠橋紋織の後継者となり、2017年代表取締役社長に就任。お客様が求める最適品質の製品を開発するという使命を背負い、日々奮闘している。趣味はゴルフとおいしい物を食べること。

皇室も視察に訪れた
老舗メーカー

「うちの特徴…うーん、素材を活かしたモノづくりですかね」(楠橋紋織代表 楠橋功氏)

楠橋紋織代表の楠橋功氏は、札幌市出身。今治タオルメーカーの社長としては珍しい、移住者である。他社の社長と比べると、物静かな性格に感じられるのは、そのせいだろうか。

楠橋紋織は、かつて昭和天皇はじめ皇室の方々が視察に訪れたという老舗メーカーで、2031年には100周年を迎える。戦後に焼け残ったタオルメーカーのひとつで、いち早く戦後の復興に着手できたおかげもあり、今治でもトップクラスのメーカーとして発展した。

戦後、楠橋紋織を訪れた皇室の方々の写真

昔からのタオル問屋という得意先に加えて、現在はさまざまな業種の顧客から、さまざまな注文にていねいに応え、小ロットのタオルを多品種製作している。けっして効率がいいとはいえない体制だ。しかしそのおかげで多様なタオルを作れる技術が備わった。

近年はオリジナル商品に力を入れており、年々そのシェアは高まっている。しかしそれも、最初から外に向けて売るためというよりは、問屋向けのサンプル作りが始まりだった。具体的なサンプルがあれば、提案にも使えるし、ものづくりも進化させることができる。そうした流れで、紡績メーカーと取り組んでオリジナルの糸を作ったり、共同で特許を取得するなどして、独自の素材を開発してきた。

オリジナルの糸から誕生した『わた音』

楠橋紋織の糸へのこだわりは、工場に並ぶ色糸の見本帳からもわかる。染色工場に色を伝えるための見本で、こんなに大量にあるのは今治のメーカーのなかでも珍しいという。小ロットでもオリジナルの糸をつくれるように、工場に撚り機も所有している。

染色工場に伝えるための色糸の見本帳がずらっと並ぶ

オリジナルの糸を作るための撚り機

楠橋紋織のオリジナル商品『わた音』も、独自の糸の開発から始まった。2008年頃のことである。紡績会社と組んで、アメリカのスーピマ綿を使った無撚糸の糸を開発し、丁寧に織り上げ、生地にやさしい後処理をすることにより、上質なシルクのような光沢と、しっとりとなめらかな肌触りを実現した。この「わた音」は特許を取得し、しゅす織の薄手のタオルを展開している。

しゅす織の薄手のタオル「わた音」はくすばしタオルの人気商品

その後、開発されたのが、「わた媛」だ。ふわふわとしていて、見た目のボリューム感から想像した重さよりずっと軽い。「無撚糸の限界って何番手くらいなんだろう」っていうところが、開発のきっかけだった。当時20番手、30番手ぐらいの無撚糸が主流だったが、それをどんどん細くしていき、80番手の無撚糸が限界点だろうと考え、リリースした。その軽さとやわらかさが人気となり、わた媛はベビーグッズなどにも展開し、楠橋紋織を代表するヒット商品となった。

ふわふわ軽いタオル「わた媛」

ベビーアイテムへ展開した「わた媛」

札幌生まれの功氏、楠橋紋織の代表へ。

札幌で生まれ育った功氏は、大学卒業後、東京の建設会社に就職。その会社でしまなみ海道の来島海峡大橋の建設に携わり、今治に2年住んだ。工事が終わり東京に戻ったとき、いまの奥様と知り合った。当時伊予銀行の東京支店に勤めていた奥様が、今治出身だということもあり、話が盛り上がって仲良くなったという。

それまで、結婚して札幌に帰るつもりだった楠橋氏だが、実は彼女の実家がタオル工場を経営していて、後継ぎがいないことを知る。「俺でよかったら親御さんと会うよ」と言ってしまった。

「経営者になるような心構えもなかった人間なので、どうせ断られるだろうというのが半分あって。だから自分の親にも言わずに彼女のご両親に会いました」

しかし、予想に反して話はトントンと進んでしまった。慌てて自分の両親にもことの経緯を説明した。長男だから本当は名前を継がなければいけない立場である。が、ご両親は「お前の人生なんだから好きにしたらいい」と言って背中を押した。

「北海道は、比較的新しい土地なので、先祖代々という背景がないというのも良かったのかもしれません。自分自身も、人生面白いな、何があるか分からないなと言う形で飛び込みました。転勤族だったこともあって、『住めば都』と思えたし、もともとが理系だったので、モノづくりと言うか、そういうのは楽しそうだなというのはありました」。それが2002年。20年前のことだった。

開発名がそのまま商品名になった「タントロ」

そんな功氏が好きなタオルで「タントロ」という商品がある。功氏自身も開発に携わったという。

「変わった名前なのでよく聞かれるんですけど、実は単純で、糸の開発品名だったんですよね。タンギス綿とトロピカルコットンっていうのがあって、それの頭文字を取って『タントロ』。仮の名前みたいなものですね」

二層構造糸という種類の糸で、外側に繊維の細い柔らかいトロピカルコットンを配置して、中には繊維の太いタンギス綿を入れることによって、外は柔らかく、中に芯が1本通っているような、パスタのアルデンテの状態のようなコシのある糸を目指して開発したのが「タントロ」だった。そもそもは某大手生活量販店向けの商品開発で提案したものだったが、違う素材が選ばれ、「タントロ」は採用されなかった。

「商品化しないなんてもったいないくらいいい素材だったので、じゃあオリジナルで作ってしまえと。それがロングランにつながりました」

そして糸の開発名が、そのまま商品名になったという。

「実は僕は、やわらかいタオルよりも、中間くらいが好きなんです。無撚糸と普通糸の間の甘撚り糸がベストだろうと。柔らかさと洗濯耐久性のバランスが取れている甘撚り糸でつくったタオルが『タントロ』なんです。人に贈り物をするときも、だいたいこのタントロを贈りますね」

楠橋紋織を象徴するブランド
『ロイヤルフェニックス オブ ザ シーズ』

楠橋氏が手がけたタオルは、他にもある。「ロイヤルフェニックス オブ ザ シーズ」は、あえて今治タオルブランドの認定を受けずに発売した。

「これは、私のわがままで始めたハイエンドブランドなんです。私が社長になるときに、創業100周年に向けて、我が社の代表となるようなブランドを立ち上げたいと考えて作り上げたブランドです」

ロゴになっているのは、楠橋紋織の表門に並ぶフェニックス(椰子)の木だ。楠橋紋織を象徴するこのフェニックスは、戦後復興の折、皇室をお迎えしたときに植樹したのが始まりだった。そんな楠橋紋織の歴史を表現するために「ロイヤルフェニックス オブ ザ シーズ」というブランド名にしたという。

「東京のブランディング会社と一緒にこのタオルのブランドを作っていったのですが、『今治はタオルと造船の街』というところからインスピレーションを受けて、『ロイヤルフェニックス オブ ザ シーズ』という仮想の豪華客船のなかで使われているタオルをイメージして作りました。やわらかくて、肌触りが良く、世界に向けたブランドにしたいという想いが込められています」

あえて今治タオルブランドを付けずに展開した理由は?

「もちろん、今治タオルブランドをつけた方が売れますし、取ろうと思えば取れる品質ですが、これからは『楠橋紋織株式会社』という会社を世の人に知っていただきたいっていう思いがありました」

営業が初めてのお客様に電話すると、まず社名を聞き取ってもらえない。何回も言わないと覚えてもらえない。聞き間違いもたくさんある。社長自身、営業時代に「くそばしもんもん」と聞き違いをされ、非常にショックを受けたという。

「誰にも間違われないくらいうちの会社を有名にしていきたい。そしてあらゆるお客様に使ってもらって、幸せな気分になってもらえるタオルを開発していきたいんです」
 社長になってからも、功氏はさまざまな改革を行った。「従業員の制服をカッコよくする」というのもその一つだ。工場で働いている社員たちが、それを着たまま買い物に行けるような制服を作りたいと考えたという。

最初、物静かに思えた社長は、語るにつれて、湧き上がるような熱い情熱を露呈させていった。

楠橋紋織株式会社(ホームページ)
https://www.kusubashi.jp/

楠橋紋織のタオル(オンラインショップ)
https://www.kusubashi.jp/towel/