TOWEL STORY02

吉井タオル

今治タオルブランドのきっかけをつくった、
生活に溶け込む無地のタオル。

吉井智己(よしいともみ)氏
吉井タオル株式会社代表取締役。1988年に吉井タオルに入社し、99年に2代目社長に就任。
タオルソムリエ制度の立ち上げに中心的メンバーとして携わると共に、使い心地・使い勝手のいい今治タオルを作り、伝え広げていくことに取り組んでいる。

「今治生まれの
白いタオル」。

そんな名前のタオルがある。よく水を吸い、よく乾き、やわらかくてやさしい使い心地が人気のロングセラー製品である。

吉井タオルのロングセラー「今治生まれの白いタオル」

開発元の吉井タオルを訪ねてみると、風情ある町のタオル工場という雰囲気で、代表の吉井智己社長も、どこか実直な印象だ。

まず、聞いてみたかったのは、この個性的なネーミング。
まだ今治が無名だった頃に、このような名前をつけたのは、どういう意図だったのだろうか。

「あの(『靴下屋』などのショップで知られる)タビオ株式会社の会長が愛媛出身の方なんですけど、数十年前に『これからは国産で品質のいいものが売れる時代になる』とおっしゃっていて。
このタオルのネーミングは、その靴下屋さんのストレートな名前をヒントにしました」(吉井社長)

なるほど。たしかにいまは、すっかりそんな時代になり、今治タオルは「品質のいい日本製品」の代表のような存在になっている。そしてその今治タオルのブランディングのきっかけとなったのが、まさにこの「今治生まれの白いタオル」だったのである。

佐藤可士和氏が感動した白いタオル。

佐藤可士和氏(現・今治タオル・ブランディングプロデューサー)が四国タオル工業組合(現・今治タオル工業組合)からブランディングの依頼を受けたとき、最初に渡されたタオルが、この「今治生まれの白いタオル」だったという。佐藤氏は、その吸水性と使い心地の良さに感動し、今治タオルの仕事を受けることにしたというのは、さまざまな記事や書籍でも触れられている話だ。

その使い心地の秘密は、今治に伝統的に伝わる「先晒(さきざら)し」という製法にあるという。糸の油分や蝋を先に落としてから織り上げる手法で、後晒しの製法に比べると手間もコストもかかる。一時期、海外の安い製品が出まわった影響で、この今治タオル産地でも後晒し製法でつくるメーカーが増えたこともあったが、吉井タオルは、そんななかでも先晒しを貫いてきた。

しかし何故、当時の組合のメンバーは、佐藤氏にこのあまりにもシンプルな白いタオルを渡したのだろう。いまでこそ今治タオルといえば白のイメージがあるが、歴史的にはジャカード織りが有名で、複雑な柄を出すことを得意としている産地でもある。普通なら、その技術の駆使されたタオルを見せようと考えるのではないだろうか。

「たしかに当時、一般向けの白や無地のタオル作りに力を入れていたのは、うちくらいでした。佐藤可士和さんといえば、有名なデザイナーの方なので、下手にデザインの入ったものは渡しづらかったのではないでしょうか(笑)」

その後、佐藤氏は、今治タオルのブランディングを引き受け、各メーカーに真っ白なタオルを開発するようにディレクションしたという。そこには、当時出まわっていた安い海外産のタオルに対して、国産タオルの安心・安全なイメージを打ち出す狙いがあった。後の今治タオルの復活劇を見ればわかるように、その戦略は大成功した。

主張しないタオルを作ることが、
これからの生きる道だと思った。

それでは何故、吉井タオルはそのようなシンプルなタオルを作り続けてきたのだろうか。

いまの時代では、すっかり無地や白いタオルの方が主流である。しかし物がなかった時代には、欧米ブランドの華やかなデザインのタオルを贈ることに価値があった。今治の多くのタオルメーカーも、そうしたブランド品をつくるOEMの仕事を担ってきた。

「うちもそういう華やかなタオルを主に作っていた時期もありました。でも、ふと気づくと、自分が毎日使っているタオルは、圧倒的に無地のタオルが多かったんですよね。タオルは見た目の華やかさも大事だけれど、使い心地の方が大切なのではないか、と考えるようになったんです」

そんななか、ある雑誌で『お中元・お歳暮にタオルなんていらない』という特集が組まれた。

「その頃は、それくらいどうでもいいタオルがあふれていたんですね(笑)」

あらゆる家庭の押入に、贈答品のタオルが積み上げられていた時代。今治タオルを贈ると喜ばれる昨今とは、タオルの存在そのものが全く違うものだった。

やがてバブル経済がはじけ、お中元・お歳暮でタオルを贈る習慣も廃れていった。
タオルより、ビールや食品の方が喜ばれるというわけだ。

そんな時代を経て、吉井社長は「タオルは生活の主役ではない」と考えるようになった。

「家具やインテリアにコーディネートできるタオルを作ろうと。自分の好きな時間と空間に溶け込む、使い心地の良いタオル。主張しないタオルを作っていくことが、これからの生きる道だと思いました」

まさにいまの時代を先取りするような考え方である。

歴史と品質を感じさせる、吉井タオルの工場。

売れるタオルを
作れない構造になっています。

それにしても、海外産のタオルに押されていた時代に、そんなポリシーを貫いていくのは簡単ではなかったのではないだろうか。

「というか、うちは設備的に、派手な柄のタオル作りには向いていないんですね。ドビーという織機がメインで、ジャカード織機もありますけど、7割はドビーでつくった製品の売上です。売れるタオルを作れない構造になっていますね(笑)」

ジャカードとドビーの違いは、糸を一本ずつ操るか、一斉に操るか。ジャカードは、豊富な色柄が出せるだけでなく、生地の織り方自体も様々なバリエーションができる。一方、ドビーで織れるのはシンプルなストライプなど簡単な模様だけだ。そうしたこともあり、ほとんどの今治のタオルメーカーは、ジャカード織機を使っているという。

吉井タオルの売上7割分のタオルを織り上げているドビー織機。

「ジャカードは満員電車をかき分けて糸を通すようなものだとすると、ドビーは空いてる電車の中をすっと歩くような状態です」

「今治生まれの白いタオル」で使われている糸は、平均的なものよりもあまく撚られている。そうした糸はドビーの方が織りやすく、やわらかな使い心地は、先晒しとドビーによる製法が相まって完成する。

「いまは糊が発達しているからジャカードでもできなくはないんですけど、
環境のことも考えて、必要最小限の糊をつけて、必要最小限の化学薬品で糊を落とせるドビーを選んでいます」

というのは後付けですけど。と、吉井社長は笑う。

あまく撚った糸が先晒しされることにより、使い心地のいいタオルが出来上がる。

いいものを高く売ることが、
今治を底上げすることになる。

いいものを少しずつ作っていくという実直なものづくり。聞けば聞くほど採算が合わなさそうだ。

「それにはもうひとつ、先代社長の想いがありました。昭和39年ごろ、まだ他社の下請けをしていた時代、その下請け先の会社が信用不安になりました。そのせいで糸を売ってもらえない状況になったときに、当時の四国タオル工業組合に駆け込んだらしいんです」

そこでお世話になったおかげで、なんとか会社を存続することができた。それ以降、先代の社長は、他社よりも「いいものを高く売る」というビジネススタイルを貫いている。よその足を引っ張ったり、かすめとることはせず、今治タオルの全体を底上げしたいという想いからだったようだ。

ある種の自由や効率を捨て、華やかなデザインも捨て、今治タオルの品質を高め、伝えていく。
あまりにも実直なタオルづくりがここにあった。

タオルへの真摯な姿勢が滲み出る吉井社長。

吉井タオルホームページ
http://yoshiitowel.co.jp

吉井タオルオンラインショップ
https://towelshop441.shop-pro.jp/

今治タオルオフィシャルオンラインストア
「今治生まれの白いタオル」
https://imabari-towel.jp/shop/g/g9532

パッケージのコピーも印象的な「今治生まれの白いタオル」。