2019.02.14 |前編|遍路道を歩いていると、 何かが「回復する」んです。|今治レポートVol.13

遍路道を歩いていると、
何かが「回復する」んです。

白川密成

MISSEI SHIRAKAWA

1977年愛媛県生まれ。高野山大学を卒業後、地元の書店へ就職。2001年に四国八十八ヶ所霊場第57番札所・栄福寺の住職に就任。同年から08年までウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で執筆。それをまとめた著書『ボクは坊さん。』がロングセラーとなり、伊藤淳史主演による映画化もされた。

栄福寺

EIFUKUJI

愛媛県今治市玉川町にある高野山真言宗の寺院。府頭山、無量寿院と号す。本尊は阿弥陀如来。四国八十八ヶ所霊場の第五十七番札所。

「一緒に仕事したい」というのは、 糸井さんへの最高のラブレターでした。

白川さんの本『ボクは坊さん。』読ませていただきました。仏教は私たちにとって身近なものというか、日常に役に立つものなんだなという感じがすごくして、おもしろかったです。
白川:ありがとうございます。あの本は「ほぼ日刊イトイ新聞」の連載が元になっているんですけれど、「ほぼ日」で書いていた時点では、仏教のことは書かないというルールで書いていたんです。間口を閉じちゃうと思ったから。それはある程度うまくいったと思っているんです。 本にするときに、最初は「ほぼ日」のときのまま案を出していたんですけど、出版社のミシマ社の担当の方から、 「なんか、もう一歩いけると思うんですよね」と言われたんです。 「もう一度最初から書き直しませんか」と。やだなと思ったんですけど(笑)。
白川住職
せっかく何百回も連載していたのに(笑)。
白川:でも結果としてその提案がすごくよかったです。確かにWEBで読む文章と、本で読む文章はまったく違うものでした。その中で新しいアイデアを入れたいなと思ったときに、1200年前の弘法大師の言葉とか、2000年前のブッダの言葉というのを入れていくと、すごくピッタリきたんですね。
もともとあった文章に言葉を入れていったんですか。そんな風に思えなかったですけどね。
白川:僕も書きながらびっくりしたんです。お坊さんでもなく仏教ファンでもない読者の方々に、ブッダの言葉ってわりと沁みるなと思っていただいたり、「愛読しています」とか「子供に『(空海の)空』とつけました」とか言われたりしました。そういう意味では、いままで堅いものに思われていた仏教というものを、やわらかく表現できて良かったと思っています。

映画化された『ボクは坊さん。』の台本とパンフレット

そもそも「ほぼ日」の連載は、糸井さんから依頼されたんですか?
白川:いえ、こちらから持ち込んだんですよ。もともと学生の頃から「ほぼ日」を愛読していたのですが、24歳で祖父が亡くなって住職になったときに、「ほぼ日」にすごく勇気づけられたんです。いままでとは違う声を出そうとしている。それもギンギンじゃなくて、あまり肩肘張らずにというところが、そのときの自分の状況とつながったんです。 それで、「ありがとうございます。何年も読んでます」というメールを糸井さん宛に書いたんですが、書いているうちに何か企画を出したくなって(笑)。24歳で住職になった坊さんの話がほぼ日にあってもおもしろいんじゃないかと思ったんですね。ただ本当に実現するとはそこまで思っていなくて、一緒に仕事したいというのは、最高のラブレターだと思ったので。 何も書いたことないけど、まずは文章の案を出すので読んでもらえませんか?とメールに書いて送ったら、「読んでみたいです」と返ってきて。それでお寺の生活がロールプレイングゲームみたいだという文章を書いて送ったら、「おもしろいですね、これ連載してみましょう」と。
そうだったんですね。持ち込みの企画だったとは。
白川:ちゃんと担当編集の方もつけていただいて。230回くらいあったんですが、最初の100回くらいまでは、全部糸井さんから返信が来るんです。
毎回ですか?
白川:ほぼほぼ毎回。しかもそれが夜中の3時とか4時とかで。当時、矢沢永吉さんとか、木村拓哉さんも「ほぼ日」に登場されていた頃で、間違いなく僕が一番無名だったと思うんですね。その無名の人に対して、ここがおもしろかったとか、ここがわかりにくかったとか、今回発表はやめておこうかとか。それだけあのメディアに力入れているし、仕事とかクリエイティブに対して、真摯に直球で力を込められている姿に震えました。

人間、すごく古くから 祈ってきたと思うんですよね。

今回は、お遍路さんのことを取材したいのですが、基本的な解説は他の本や記事で読めると思うので、「白川さんの語る遍路」をお伺いできるといいなと思っています。ご自身もお遍路さんとしてまわってらっしゃるんですよね。
白川:はい。「区切り打ち」というのですが、少しずつ区切って、たとえば三泊四日とか一泊二日とかいう期間でお参りしています。 若い頃に車でまわったことはあったんですが、いま区切りで歩いてまわって、「現代ビジネス」というサイトで連載させていただいています。
お坊さんがお遍路をするというのは普通のことなんですか。
白川:遍路って、いわば物見遊山、ポップゾーンの人と、コアなファン、熱心な信仰者の方が共存してるんですよね。ガチンコの修行僧もお参りされるし、修験者という山伏みたいな方もお参りされるし、朱印ガールというか、寺社仏閣が好きな女の子たちとか、おじいちゃんおばあちゃんの団体の方もお参りされるし。
白川さんは、何回もまわられてるんですよね。
白川:まだ4回目くらいですけどね。普段めちゃくちゃ疲れているという実感はないんですけど、遍路道という昔の道を歩いたりしていると、なんかこう「回復する」というか、そんな感覚がありますね
回復する。何かが治癒されていくということでしょうか。
白川:治癒というよりも、もっと全体的な何かが回復している感じ。関を切ってそういう感覚になるときもありますね。 しんどいときもあるんですけどね。雨が降ったり、体調が悪かったり、1日中歩き続けるのが苦しかったり。そういうときは自分は動物なんだな、自然の脅威の前では本当に無力なんだなと。その両方がある感じですね。
お寺を巡るというよりは、自然の力が大きいんでしょうか?
白川:いや、でもそこに、寺で祈るという行為があるのが、遍路のおもしろさだと思うんですね。自然に触れたければ、その辺の山に登ったり、他にもいろんなところがあると思うんですが、その中間地点で祈るのがおもしろい。 人間、すごく古くから、祈ってきたと思うんですよね。人が死んだら花を添えたり、祈ることがずっと生活の中にあったけれども、いまは、例えば東京で普通に暮らしていると、なかなか祈る機会がないでしょう。そんな毎日のなか、たまに四国遍路に来て、自然の中や街の中を歩いて、ポツポツと祈る場所があるというのはとてもいいんじゃないかと。これだけ四国に年間何万人の方が全国、世界から集まるのは、そういう日本の宗教性みたいなものが、ここにぎゅっと凝縮しているからのような気がしますね。

「自分が何者でも関係ないんだ」 お接待に涙が止まらない人もいる

こちらにも毎日のようにお遍路さんがいらっしゃるんですよね?
白川:祖母が嫁に来て以来、戦争のときも、台風のときも、お参りが一人も来なかったことは1日もなかったらしいです。
それ、何年くらいの間なんですか?
白川:90歳くらいなんですけど、たぶん20歳くらいで結婚してると思うんですよね。だから70年くらいでしょうか。今年(2018年)も、台風が多い年でしたけど、今日こなかったねという日は一度もないんですよね。

取材の日もひっきりなしに栄福寺を訪れていたお遍路さん

年末年始もですよね。すごいですね。そう考えると、日本人も意外と宗教的なんでしょうか。
白川:そうですね、無宗教というのを標榜される方が多いですけど、無意識の中では宗教性を強く持っている方じゃないかな。それが四国におもしろい形で出ていると僕は思っているんです。 仏教とか宗教って、ギフトというか、「自分の持っているものを差し上げる」という考え方があるんですが、実際できているかというと「自分の貯金通帳から半分あげます」なんてことはなかなかできない。でも四国遍路にはお接待という文化があって、相手がどこの誰だか、何をやった方か、まったく知らなくても、「あなたは修行者だからこれを食べてください」とか、「これを持っていってください」ということがいまでも普通に行われています。考えてみるとすごいことです。
白川:四国遍路って不文律がいくつかあって例えば「なんでお参りしてるんですか」というのは聞かないんですね。相手にもいろんな事情を抱えた人がいて、触れられたくない方もいるからなのかな。 宗教者の中では、「何を言うかより、何を言わないか」の方が重要だということがよく言われるんですけれど、最近のSNSなんかを見ていると、僕なんかはけっこう好きなんですけど(笑)、この「何を言わないか」というのは、いま日本の中で欠けている精神かなと思うんですね。
「あなたは誰ですか」「どうしてお遍路してるんですか」と言うのはあえて聞かないわけですね。確かにSNS文化とは真逆かもしれない。
白川:でも自分から話す人が多いので、話を聞くと、お遍路されてる人って、自信を失っている人も多いんですね。失恋したり、職を失ったり。そういう「自分なんかもうダメかな」というときに、あなたが誰だかは知らないけど、これどうぞと食事やお金を見返りなしにもらったりして、そういうときに、涙が止まらないらしいですね。 「俺が誰かというのは関係ないんだ」と。 一人ひとりが善人かというと僕を含めてそんなことはないと思うんですけど(笑)、それが伝統的な習慣の強さで出来てしまう。そこが強い。
そういうお接待の文化って、今治の人に染み付いているものがあるんでしょうか。
白川:四国遍路全体じゃないですかね。巡拝者は、自分の代わりに修行していただいてるという考え方で。
ふだんからもてなし上手とかいうことではないですか?
白川:それは僕にもわからない(笑)。でも人間、意外と功徳を積みたいという欲求があるんですよね。ボランティアとかする方々も、人の役に立つって、代替が効かない喜びがあるということに気づいているんじゃないですかね。人に感謝を受ける、役に立つって、気持ちいいぞと。エゴイスティックな喜びじゃなくて、どうやらこれは本当に嬉しいぞという。四国遍路のお接待の場合は、個人個人が勝手にやっているわけではなくて、文化として根付いている。 あなたが誰だかは知らない。前に助けてもらったからとかそういうこともなしに、それができちゃうというのは、伝統とか仏教の、そして遍路の強さかなと思いますね。「自分がはじめたこと」ではないですからね。

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後編|仏教や遍路を、 「使ってもらう」状況を作りたい。|今治レポートVol.13