2019.03.29 |後編|IMABARI LIFE 今治レポートVol.13|仏教や遍路を、 「使ってもらう」状況を作りたい。

前編|IMABARI LIFE 今治レポートVol.13|遍路道を歩いていると、 何かが「回復する」んです。

仏教や遍路を、
「使ってもらう」状況を作りたい。

白川住職

「現代の宗教の役割」について
村上春樹さんに質問してみたんです。

もし初心者の方に、お遍路を勧めるとしたら、なんと言って勧めますか?
白川:そうですね。「祈るってけっこうおもしろいよ」ですかね(笑)。それも、移動しながら祈るっておもしろいよと。たとえば、ひとつのお寺で拝んで終わるだけじゃなくて、移動しながら祈る。すると祈りが重なってくる。それも、なんとなく、こういうのがいい、ああいうのがいいというよりは、なんとなく「気が晴れるよ」っていう。
僕もそうなんですけど、不思議と気が晴れるんですね。それってけっこう大きなことじゃないかなと僕は思っていて。
気が晴れる。それは人が一番求めていることかもしれないですね。
白川:あと、ある程度年齢に達してくると、友人やお父さんお母さんが亡くなったりすることも増えてきますよね。歩いたりお参りをしたりしていると、亡くなった人を思い出すことが多いということを、いろんな方が言われます。そういう方々にとっても、遍路とのいい縁があればいいなとは思いますね。死者との繋がりというのは、生きている人の心の源になるんです。そういう意味では、遍路は「生命のスイッチ」が祈りや歩くこと、死者との対話によって押されることが多い。
僕は村上春樹さんの大ファンなんですけど、彼のお父さんの家系は僧侶なんですね。それもあって、「村上さんのところ」という本の企画があって、読者の質問を受けるというものがあるんですけど、僕もチャンスだと思って、「現代において仏教や僧侶の役割ってなんだと思いますか」という質問をしてみたら、本に載せていただいたんです。
えっ。あれに載ってるんですか!
白川:そうなんです。村上さんの答えは、
「日本人の信仰って、教義というよりも、雰囲気で信仰する傾向が強いみたいですね」という意味のお答えでした。
だから宗教者の役割というのは、「ずいぶんむずかしい問題で、僕にはとても答えられそうにありません」とことわったうえで、「地域コミュニティーの中にそのような雰囲気を味わえる場をこしらえて、それを静かに維持していくことに尽きるのではないでしょうか?」と答えてくだって、最初は村上春樹さんっぽくないなと思ったんですけれど(笑)。
でも、日本人の宗教が風景のような「雰囲気」的傾向がつよいことは、「風景だけかい!」みたいに否定的に言われることが多いんですけど、その雰囲気だって日本人の心とか規範とかを部分的に担ってきた。その価値は、そんな風に外から誰かに言ってもらわないとなかなか確認しづらいことだなと。「雰囲気の宗教って悪くないじゃん」っていう。四国遍路にもそれはあるし、そういうことをお参りしているうちに気づく人も多いのかなと思いますね。さっきの言い方で言うと「回復する」何かが、その「雰囲気」の中にあるのかもと。雰囲気って、思いつきでは作れないんです。
白川:それこそメディアの方とか、遍路の取材に来た方から、
「いまの若い人も、確固たるものが欲しいんですかね?」
と言われたりするんですけど、確固たるものというよりは、もっと人間は曖昧なんだということを確認しにきているような感じがするんです。自分の存在とか、心とか、人間関係というのは、そんなに割り切れるものじゃないし、答えが出るもんじゃないということを。なにか強い、折れない何かが欲しいと人間は考えがちだけど、歩いていても、お参りしていても、なんかうまく言えないよな、という曖昧なところを求めて四国に来るのかなと。僕はその曖昧さが事実だと思うし、人間はその曖昧さによって生命のスイッチが入ることもある。
そこに気づいていない方も多いと思うので、ちょっと自分の暮らしの中に、充足されていないなという感覚があるんだったら、さまざまなリラックスの方法があると思うんですけど、その選択肢の中に四国遍路も入れてみてほしいな。それは日本だけじゃなくて、いろんな国の方にも共有したいなと思いますね。仏教って世界宗教なので。

「歩き至上主義」になると、
ちょっと危ないと思う。

白川:あと、ここ3年くらいは、海外の方が歩いてお参りをされるのをよく見ます。特にデンマークとかドイツとかの方が多いんですけどね。
それはどうしてでしょう?
白川:デンマークは、ドキュメンタリーがあったみたいですね。それがすごく良かったらしくて。
あと、ドイツのフリーペーパーで自分のインタビューを載せていただいたんですけど、日本のカルチャーを紹介するものがあって、その特集が、四国遍路とラーメンという(笑)。
祈りと食。根源的な欲望ですね(笑)。

白川住職のインタビューが載ったドイツのフリーペーパー。

白川:それだけ外国人にとっても、遍路は日本を代表する文化なんですね。スペインにサンティアゴ巡礼というのがあるんですけど、それを経験されて、また次やってみたいという人も多いようです。
巡礼好きな方がいらっしゃるんですね。
白川: そもそも弘法大師(空海)が日本に持ってこられた密教というものが、純粋な仏教だけじゃなくて、民間伝承とか、いままでの宗教とかを、かなりミクスチャー的に集めた要素があるんですけども、そこを彷彿とさせるような総合的な感じが四国遍路にはあるんですね。そして密教は仏教の中でも、人間の生命力を肯定することに大きな特徴があります。そんな弘法大師が、ひとりのヒーローとして定着しているし。
じゃあ、やっぱり空海人気もあるんでしょうか。
白川:それもあると思うんですけど、空海の本を読んで、論理的にいいと思ったからというよりは、もっと身体的な直感を感じて来てしまうんじゃないでしょうか。そこがおもしろいなと思いますけどね。
巡ってみたい、という直感ですか。
白川:そうだと思います、直感。
さっきおっしゃっていた「回復する」感じは、やっぱり歩いた方がいいんでしょうか?
白川:「歩きこそお遍路」だという方は多いと思うんですけど、僕はそこは優劣をつけたくないと思っているんです。歩きじゃないからできることって、いっぱいあると思うんですね。
たとえば、僕はもともと書店員で本好きなんですけど、読みたいのになかなか時間がなくて読めない本ってあるじゃないですか。歩きだと荷物になってしまうけど、車ならそういうのを何冊か持って、お遍路の合間にどこかで読んだり、宿で読んだりすることができる。
スーパーカブとかハーレーでお参りをされる方とか、最近だと自転車の方も多いですし、特に若い方は時間にも限りがあるので、手段はこだわる必要はないと思っています。
逆に「歩きこそ遍路」という人の方が、ちょっと危ないなと僕は思いますけどね。
何日でまわったんだとか競争みたいになったりするし。あとお寺で怒ったりする人って、けっこう歩きの人の方が多いんですね。「なんでこんなに混んでるんだ!」とか。
突き詰めすぎて、意固地になっちゃうんでしょうか。
白川:それもあるし、歩くとやっぱり疲れるし。人間、疲れると怒りっぽくなるんですよ(笑)。だいたいの人が思い当たる節があると思うんですけど。疲れると人に怒っちゃうんですね。だから歩き至上主義になったらいけないと思う。いろんな方法があっていいんじゃないかなと。
いいお話ですね(笑)。
白川:もちろん歩くことには代え難い魅力があるのも事実なので、一部だけでも歩いてみるのはいいんじゃないかなと思いますけどね。
いま団体巡拝にもサポートカーがついて、一部は歩けたり、歩きをうまくミックスするような巡拝もあるし。たとえば車で一国一国(一県一県)まわって、歩いてみたいなというところを目星つけて、一泊とか二日とかでもう一回戻るとか。そういう風にしてうまくミックスするのもいいんじゃないかなと思いますね。

観光があったから、
お遍路も続いたんだと思う

四国遍路の中にも、今治ならではということってありますか?
白川:そうですね…。お寺の数がわりと多いですよね。延命寺から始まって、南光坊、泰山寺、栄福寺、仙遊寺、国分寺と、6つあるんですね。遍路の寺って歴史のある場所に集中するので、今治はけっこう古い場所なのかなという気はしますね。
あとは、造船にしても、タオルにしても、パッと浮かぶ産業があったり、海産物や農産品が豊富だったり、お遍路さんもわりとそれを期待しているようなところがありますよね。
「魚食べるならどこがいいですかね。地酒も飲みたいんですけど」とか「タオルはどこで買えますか?」
とか聞かれることも多いですし。
観光しやすいんですね。
白川:そこが、四国遍路が続いている要因でもあると思うんですね。江戸時代の遍路本が残っているんですけど、それがベストセラーだったんです。やっぱり遍路は信仰でありながら、ある意味でひとつの観光だったんですね。一世一代の観光。拝みながら観光。
お参りだけだと長続きしなかったかもしれないし、今日どこの温泉入ろうかなとか、何かお土産買って帰ったら喜ぶかなとか、そういうことがあるから続いていく面は大きいと思うんです。それが地元の人にとっても、なんというかな…。
経済がまわっているということですね。
白川:そう。そこでは宗教と地元経済は、一体になってるんですよね。遍路で泊まって今治を好きになった方も、ずいぶん多いと思いますよ。
白川:人と話していて、「四国遍路をどう変えたいですか」と言われたんですけど、本音で言うと、変わらなくていいんじゃないかなと思ったんです。僕ごときで変わらないと思うんですよね。そういう大きなサイズ感を持っているものと関われたことはひとつの喜びです。もちろん仏教に関しては、こういう風にしていかなきゃいけないと思うものがあるんですけど、遍路という風景に関しては、変わって欲しくないなと思えるものが自分のベースにある。
いま四国遍路を世界遺産にしようという動きがあるんですけれど、
世界遺産? お遍路を?
白川:四国八十八ヶ所を。行政も民間も活発に動いてくださっています。遍路道も合わせて、という、珍しいパターンなんです。
で、あるとき地元の人が来て、
「おっさん(和尚さん)、四国遍路は世界遺産にならなくてもええと思うんじゃ」
と言われたんですね。何故なら、世界遺産にならなくても、俺らの宝だと。すごく大事に思っているから、世界というチャンピオンベルトはいらないんじゃないかと。
僕はなった方がいいと思っているんですけど、そういう話が出るというのは素晴らしいなと。これが本当の宝だと思ったんですね。

新しいことをやっていると、
元の場所に戻っていく感覚がある。

本堂の脇に建てられた栄福寺演仏堂

この演仏堂という建物は、今治出身の建築家、白川在氏が設計して建てられたんですよね。ここでは何をされているんですか?
白川:一階が事務所(寺務所)みたいな形で使っていて、二階、三階は庫裏(くり)という普通の住まいなんです。最初のアイデアは本当にシンプルで、僕自身は仏教を、平安時代とか鎌倉時代のものではなくて、もっと今を生きる人のものにしたいという思いがあるんです。コンテンポラリーブディズムというか。現代アートのことをコンテンポラリーアートって言うじゃないですか。そんな感じで仏教をコンテンポラリー(同世代の)なものにしたいなと。そういう僕の考えを旗みたいなものにしたいなと思ったんです。
その旗がこの建物だったと。
白川:はい。中はすごくシンプルで、坊さんとして帰ってきたときに、働く場所がないなと思ったんですね。なんとなく生活しているなかで仕事している気になっちゃうのが怖かったので、オフィススペースが欲しかったんです。
こういう場所ができると、自然と人が集まってくるんですね。10人くらい子どもが集まってパステルアートをしたり、京都大学の人文学研究所の先生が集まって、人類学の巡礼をテーマにした発表会があったり、愛媛でものづくりに関わる人たちが集まって話をする会をやったり、
そんな感じで、場所があると「こんなふうに使えませんか?」と、人が集まってくる。そして、そこに「坊さん」の僕が加わると既存の「何か」とは違った雰囲気が発生するんです。

演仏堂1階はオフィスや人の集まる場所として使われている

白川:おもしろかったのは、建築家が、一個一個作るんですね。レディメイドじゃなくて、そこに合わせたものをつくる。たとえばお寺の境内にあるトイレは、木の間に点在する分棟型のトイレを設計してくれたんです。法的、スペース的な問題でこの場所にしかトイレが作れなかったのですが、木を切るのは申し訳ないので、建物を切るというプラン(笑)。一個一個オリジナルなものを作っていくんですよね。しかも愛媛ってヒノキがいっぱい取れるので、ヒノキの間伐材で作ったトイレなんです。

木の間に点在するトイレは、一つ一つその場に合わせて建てられた。

白川:現代建築とかモダンとか言われるけれど、その場所に合わせて、自然と対話しながら一個一個それを作っていくというのは、先祖返りっていうか、昔のものづくりってこうだったんだろうなと想像しました。面白かったですね。
でもそれは、いまの時代では贅沢なことなんでしょうね。
白川:そう。日本の木を使うことなんかも贅沢なことになっていますよね。お寺って、使う量とかコストとかも、企業と個人の間くらいの位置にいるかなと思うんですよね。でも個人ではちょっとコストが難しいし、企業だと予算を合理的に考えてしまうのでなかなかできないよね、ということを、みんなで共有できるのも、お寺という場所の役割かなと。個人でも会社でも行政でもない不思議な役割。
それもひとつの経験や教養になりますもんね。
白川:そうなんです、それが社会的な経験になるんです。なかなかこういう栗の木の床とか、土佐漆喰とか、予算がかかって使えないものを、皆さんに紹介する場所にもなるのかなと。
外装材は、いわゆる普通の建材なんですけど、もともと自然素材を使いたくて、でもちょっと難しいかなというときに、大島石を叩いて使ったらおもしろいテクスチャーになるんじゃないかという案を出してくれて家族で割って、外壁に塗り込んだりして。

土佐漆喰で塗られた壁

弘法大師の言葉を入れたTシャツ。販売所で購入できる。

白川:そういう意味で、今回に限らず、仏教やお寺で新しいことをやっていると、元に戻っていくような感じがあるんです。弘法大師の言葉で「去去として原初に入る」というのがあって、前へ行くだけじゃなくて、オリジンとかそういう原初の場所に戻っていく、という。進みながら元の場所に帰って行く、リターンという方向性というのは、たぶん遍路にも通じる考え方かなと思うんですよね。その言葉でお寺のTシャツもつくりました(笑)。単純な「昔はよかった」じゃなくて、常に「原初にリターンする」という本質的な視点、動きを自分の中に織り込んでおくんです。遍路にはそれを考えるきっかけがありますし、これからの今治、日本、世界を作っていくうえでも大切な視点だと感じています。
 僕はひと言でいうと、仏教や遍路を良いものだと思うので、「もっと使ってもらう」状況を作りたいだけなんです。それに必要な要素は、「音楽のようなポップさ」「あらゆる人を排除しない親しみやすさ」「ワクワクする創造性」の3つだと思って活動してきました。
だから今治タオルや今治市のブランディングを、すごく共感しながら勉強したいと思って見ているんです。
すごく深くていいお話ですね。ありがとうございました。

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